福岡高等裁判所 昭和46年(う)77号 判決 1971年10月11日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
<前略>
所論は、要するに、信用性のない原審証人古川聆子、同井田正義の各供述を採用し、信用性のある被告人の供述ならびにこれを裏付ける原審証人梅野敬一郎、同志津京子の各供述を採用しないで、かつ右相反する各証拠の対比検討を加えることなく、無罪であべき被告人に対し「被告人が右古川聆子に対し、食塩を四回位投げつけて暴行した」旨認定して、有罪の言渡をした原判決には、証拠の取捨選択とその価値判断を誤つた結果事実を誤認し、かつ理由不備および審理不尽の違法があるから、破棄を免れない、というのである。
(すなわち、被告人および弁護人らは、本件控訴において、原判決が認定している「本件発生に至るまでの経緯」(但し、後記弁護人三原道也の論旨の一部についてを除く)、ならびに「罪となるべき事実」のうちの、本件発生当日におけるハトヤ従業員通用口付近で、被告人が古川聆子に対して食塩を投げつけた行為以外の点については、格別これを問題としておらず、本件における事実認定に関する主たる争点は、被告人のいわゆる「塩まき」状況に関する事実如何の問題に帰着するのである。)
そこで先づ、原判決挙示の証拠のうち、この点に関する証拠である原審証人古川聆子、同井田正義、同梅野敬一郎および同志津京子の各供述、ならびに被告人の検察官に対する供述調書二通および原審公判廷における供述を検討しながら、その信用性について考察していくこととする。
(一) 原審証人古川聆子の供述内容(原審第三、四、五回公判調書中の同証人の各供述部分)。
本件の発生した昭和四一年八月八日、同証人の加入している福岡商業一般労働組合は朝からビラを配付するようになつていたが、同証人はこれに参加しないで、スカートにブラウスを着て、午前八時三〇分頃ハトヤに出勤して経理課室の掃除を始めた。二〇分位経つて、右掃除が終る頃、同室内で、同課勤務の女子従業員等二〇名位から取り巻かれ、「帰れ。」「出て行け。」、「みんなまいているから、一緒にお前もまいてこい。」「お前のような者はおらんでもよい。」などと言われ、仕事も全然できないような有様であり、ハトヤにおれなくなつて帰えろうとした。
同証人が帰るとき、経理課室の出入口に課員二〇名位が押し寄せていた。その中に被告人もいて、被告人は一番大きな、しかもわめくような声で、「帰れ。」と叫んでいた。同証人が階段を降りてハトヤ通用口の前に出たところ、背後から何か呼ぶような声がしたので、「何かしら。」と思つて後ろを振り向いたときに食塩をかけられた。被告人は直径約二〇センチメートル、高さ約三〇センチメートルもあるような塩壺を左手にかかえるようにして持つていて、塩壺の中に右手を突込んで塩をつかみ、右手でパッと塩をぶつかけた。続けて四、五回かけられた。びつくりして避けたので、被告人がどんな風にして塩をかけたか見ていない。食塩は同証人の頭から顔、胸、腕、大腿部にかかり、頭髪の中、襟足から胸の中にも塩が残つていた。胸の中のはブラウスを引き上げるようにして払い落した。胸やスカートを何回も払つた。かかつた食塩の量は、かかつていた状態からみて、全部で大さじ二杯位はあつたと思う。同証人はスタンドバー「ドンキー」のところから被告人のところへあともどつてきたことも、「頂載。」といつて被告入の方に手をさし出したこともない。大賀薬局の前で、ビラ配りをしていた前記労働組合書記長井田正義と出会つたが、同人から「頭の中が真白になつている」と告げられた。被告人から食塩をかけられたことを、翌日、右組合のビラに掲載して配布した。同月一四日同証人は会社から解雇された。同証人は同月一六日本件を、弁護士斎藤鳩彦ら三名を代理人として、福岡地方検察庁に告訴した。なお記録編綴の右告訴状によると、被告人は右証人の胸、頭、顔に、四回にわたり、塩を投げかけて暴行した、旨記載されている。
(二) 原審証人井田正義の供述内容(原審第一〇回回公判調書中の同証人の供述部分)。
同証人は、本件当時の福岡商業一般労働組合の書記長であつたが、本件当日は、ハトヤから一〇〇ないし一二〇メートル離れたところにある、福岡市天神町の大賀薬局の前で、同組合のチラシを配付していた。そのとき、古川聆子が下を向いて、何かを払い除けるような動作をしながら、同証人の方に歩いて来ていた。同女の頭の上に白いものが沢山ついていた。女が塩を振りかけられた、と言つたので、それが塩である、ということがわかつた。塩は同女の頭、肩、眉毛、耳たぶに付着し、開いている同女の襟足に溜つているのを見た同女に頭を下げさせて塩を払い落してやつたが、同女の髪はふわりとした髪型であり、塩が頭髪の中の方まで入つていて、同所ではよく落すことができなかつたのですぐチラシ配付をやめて、同女を、同市今泉町一丁目所在の農民会館内の同組合事務所に連れて行つた。同女は同所で、頭のフケを落すような仕方で、髪の中の塩を落ししていた。五、六メートル離れて頭に白い物がのつているとわかつた状態から判態してみると、同女の頭にかかつていた塩の量は大さじ二杯位になると思う。同女にかかつていた塩は食卓塩よりも粒子が大きく、漬物などに使用するものだと思う。同女の身体から取除いた塩は保存していない。同年五月一六日同組合の組織活動が会社に発覚して以来、後日の証拠のために、職場での出来事を、必ずその日に、雑記帳にメモさせていたが、同女は本件のことを右組合事務所でメモしていた。本件公判を何回か傍聴した。古川聆子の証人尋問があつた法廷は傍聴したと思う。
(三) 被告人の供述内容(原審第一、第一一回公判調書中の被告人の供述部分および同人の検察官に対する供述調書二通)。
本件当時、被告人はハトヤの経理主任であり、昭和四一年七月一〇日ハトヤ従業員組合が結成されたとき、被告人は、自ら立候補して選出され、同組合の代議員となつた。古川聆子の加入していた福岡商業一般労働組合は、ハトヤからいつて困る存在であつた。本件当日、福岡市西鉄街にある大賀薬局前でビラがまかれた。古川聆子が朝出勤して来たので同女に対し、「会社から帰つて一緒にビラをまいたらどうか」と言つてやつた。同女が「帰る。」と言つて帰り始めた。そこで、昔から、いやなことがあつたときは、塩をまいて清める、ということを見聞きしていたから、同女が出て行つた機会に、塩をまいて清めてやろう、という気になつた。ハトヤの食堂に行つて塩壺を持つて通用口のところへ来た。古川は、四メートル位先のスタンドバー「ドンキー」の前辺りを、歩いて帰つていた。被告人は、「お疲れさん。」と言いながら塩を二、三回まいた。古川があとがえつてきて「頂載。」と言つて手を出した。同女に塩をやるつもりはなかつた。続けて、もう一回、バッと塩をまいた。同女が、そばに来ていて、同女の身体に塩があたることはわかつていたが、当時、かなり腹がたつていたので、腹立ちまぎれに、まいてしまつた。塩は三本の指(親指、人さし指、中指)で壺から取り、横に振り、都合三、四回、同一の動作を繰り返してまいた。最後にまいた塩が古川の手首と頭の付近にかかつた。
(四) 原審証人梅野敬一郎の供述内容(原審第六回公判調書中の同証人の供述部分)。
同証人は、昭和三五年にハトヤに入社した保安係(守衛)で本件当時ハトヤ通用口前付近の通路において、ハトヤ本館の壁の方に正対した姿勢で、シャッター棒を整え、立てかける仕事をしていた。当時通用口の扉が開けられていて、同人はその左方に、扉ごしに、被告人と古川聆子のやりとりを、約二メートル先に、被告人の左側から見た。この扉は、上半分が透明なプラスチックの窓になり、下半分(腰から下位)は板が張つてあり、上半分からは扉の反対側が見える。しかし、それも人が扉のそばに近寄つているときは見えないが、離れれば見える関係にある。本件のときは、通用口から古川聆子が出て来たあと、急ぎ足で被告人が出て来た。被告人はボールを投げるような動作ではなく、手を横に振り、前方に円形を描くようにして塩を二、三回地面にまいた。それは手の動きが見えたのでわかつたそのとき、被告人は、古川に向い「お疲れさん。」と言つた。古川はスタンドバー「ドンキー」の前辺りにいたが、被告人の方を振り返つて、「「私にも頂載。」と言つて、あとがえつて来た。それから、被告人は、も一度まいたが、その塩が古川にあたつたかどうか、はつきりしない。二人のやりとりは冗談にしているように見えた。右のように、扉の下半分は板になつているから、被告人が当時持つていたという塩壺は見ていない。古川が塩を払い落す動作をしたことは見ていない。後日、被告人は同証人に「あのとき(本件塩まきのとき)は、口論のあとで興奮していた。」と言つた。ハトヤでは、同証人の知る限り、清める意味で、塩を門前でまいたことは、本件の前後を通じ、一回もない。
なお、当審証人梅野敬一郎は、右と同趣旨の供述のほか、「被告人と古川とは、被告人の方が余計感情がたかぶつていたようだつた。被告人は、手をベルトの高さ程度のところを横に振つて、ちようど、道路で水まきするときに、通行人に水がかからないように、水をまくまき方で塩をまいていた。まいた塩の一回量は手拳に握つた程度、にぎりずし大の量になると思う。指先半分につまんだ程度より多かつた。古川らの組合作成のビラ等は事実なかつたことは言つていないが、事実を誇大に宣伝している傾向があつた。」と供述している。
(五) 原審証人志津京子の供述内容(原審第九回公判調書中の同証人の供述部分)。
同証人は、本件当時ハトヤ本館二階の洋品雑貨売場勤務であつたが、本件当日の朝、清掃が終る頃、三階の経理課室の方で騒いでいると聞いた。掃除が終つて、階下の通路までごみを捨てに行く途中、食堂の方で、被告人と食堂のおばさんが、「塩を持つて来い。」と言つて、すごく騒いでいた。同証人が階段を降りているとき、古川聆子と被告人が相前後して、普通の足どりで降りてきたので、同証人は階段が分れているところによけて、右両名を先に通した。そして、当時のふんい気が変であつたので、屋外にごみを捨てに出られず、その先どんなになるだろうか、という好奇心から被告人らのやりとりを、三、四メートル離れたところから見ていた。古川はスタンドバー「ドンキー」の前辺りにいた。被告人の言葉は覚えていない。古川は被告人の方に返つてきた。古川が「塩を頂載。」と言つて、右手を出した。その後、被告人は塩壺を左手に持つて、古川に右手を振つた格好で、孤をかくようにして、塩をまいた。被告人と古川との間は約一メートルだつた。同証人からは、被告人の斜め右うしろからその背中が見え、古川の正面が見えた。横に払うようにしてまいたのを一回見た。古川があとがえつてくるまでまいたのは見ていない。古川の服の胸から下ぐらいに塩があつたと思う。古川の髪の毛に真白になるようにかかつたのは見ていない。古川はうす笑いをしていて、両者の間に険悪な様子はなかつた。被告人は普通ではない態度であつた。
そこで、右各証人の供述の信用性について考察するに、まず弁護人側の証人梅野敬一郎は、右のように、通用口の扉ごしに被告人らを見た関係にあるが、果してその供述するとおりに目撃したのか疑問がある。すなわち、梅野は二メートル位の近距離に、被告人の左側を見たというのに、被告人が左手に抱えて持つていた塩壺は、扉の下半分に板が張つてあるから見えなかつた旨供述し、他方において塩まきの状況については、手先はベルトより上に上つたことはないと供述しらながら、塩まきの状況は手の動きで分つた旨供述し(塩壺がベルトより上にあつたはずである)、古川聆子があとがえつてから一回まいた、また同女の身体に塩がかかつたことははつきりしない、とこれを否定的に供述する(塩が古川の身体にかかつたことは被告人さえ認めている)など、被告人と古川のやりとりを、注意深く終始、目撃していた同証人の供述としては理路必ずしも一貫せず、また、右両人のやりとりが、冗談にしているように見えた、との供述も、それまでの古川らの組合活動と、これに激しく対立する被告人ら会社側の立場に立つ者との間の、険悪な関係を知つている同証人の供述としては不自然で納得できないものがあり、同証人の供述は、被告人の弁解にそうように塩まきの際の被告人の行動、態度についてことさらこれを控え目に供述しているように感受され、そのまきこれを信用することができない。
次に、証人志津京子の供述であるが、同証人は被告人側の立証として、一旦事実関係の証人、および事件の背景関係の証人の取調べを終了した後で、申請し採用された経緯があるところ、同証人は経理課室で騒ぎがあり、それから被告人が古川聆子を追うようにすぐ後から階段を降りて来て、その途中食堂に行き「塩、塩。」と言つて大騒ぎしていたのを現認し、これは、きつと何かが起るにちがいない、という好奇心で両名のやりとりを、三、四メートル離れて一部始終見ていたというのに、通用口での被告人らのやりとりの状況は、それまでの、同証人が感じたふんい気とは一変して、両者の間に険悪な様子はなかつた、被告人が塩をまいたのを見たのは一回だけ(被告人は四回位と供述している)、被告人がまいた塩は古川の胸から下の服ぐらいにはあたつたと思う、被告人はわが国の昔からの慣習に従い、きたないものを清めるために塩をまいたものと思う、旨供述するなど、被告人の弁解内容を知り、これと調子を合わせるように、結論のみを強調して供述している疑いが濃厚に感じられ、同証人の供述も、塩まきの状況に関するる点については、そのままこれを信用することはできない。
さらに、証人井田正義の供述であるが、同証人の供述であるが、同証人は被害者古川聆子の証人尋問があつた法廷においてこれを傍聴し、その供述内容を熟知していたものと思われること、古川の所属する労働組合の書記長として、株式会社ハトヤないしは被告人側と対立関係にあつたものであること、当審証人梅野敬一郎の供述等にあらわれているように同人らの作成したビラ等には事実を誇張して表現する傾向があることが認められるので、右井田証人の前記供述内容についても、そのまま全面的にこれを措信することができないものがあると思われ、特に、古川が、被害現場から身体にふりかかつた塩を払い落しながら、一〇〇メートル以上も歩いて、大賀薬局前に至つたのに、なお同女の身体に残留していた塩の量は大さじ二杯位であつたという点についてはそのままには措信し難いところであるが、なお、いくらかの塩が、同女の頭髪内とか、えり足等に付着して残留していた程度のことは、同女の頭髪内等の塩を払い落した状況等についての同証人の供述に具体性があることや、後記古川聆子の供述の信用性などと併せ考えると、十分措信するに足りるものと認められるのである。
そこで、次に、被害者である前記証人古川聆子の供述と被告人の供述の信用性について、考察するに、
(1) 本件当時、被告人は古川聆子に対し相当立腹し、同女との間に何かを起しかねない緊迫した状況であつたこと。すなわち、本件が発生した同年八月八日頃は、原判示のようにハトヤ従業員組合に所属する従業員と、古川聆子との対立は日毎に激しくなり、出勤した同女に対し執務に耐え難い、極めて執拗ないやがらせなどが繰り返えされていたもので、本件当日も被告人ら二〇名位が、出勤した同女を取巻き、「出て行け。」、「お前のような者はおらんでいい。」、「一緒にビラまきしたらどうか。」などと怒号して圧迫を加えたのであるが、当時、被告人は経理課主任ならびにハトヤ従業員組合代議員として、同課員で対立組合所属の古川に対する態度は決して冷静なものではなく、被告人は古川およびその所属組合に対して感情を激発させていたもので、本件直前の状況自体何か不穏な行動に出ることも十分予測される状態であつた、この点、被告人自らも、前記供述のように、古川に対して立腹していたことを認め、また原審証人梅野敬一郎の供述にもこれに符合するものがあるほか、原審証人志津京子の供述でも本件直前、被告人が「塩、塩。」と言つて大騒ぎをしており、被告人が古川の後らから階段を降りて行く際、右両人の間で何かが起る感じがした、旨の供述部分もこれを裏付けているのである。
(2) 被告人は、本件について、「場所を清めるため」と弁解しているけれども、本件当時、被告人がそのいわゆる「塩まきの慣習」について如何ほどの知識を持つていたか疑問に思われるが、このハトヤという会社自体において、本件当時まで「塩まき」したことが一度もなく、被告人個人においてもそれまで右の趣旨で塩まきをしたことがあるものとは窺われずまたハトヤの業務の性質上、被告人の弁解する趣旨での「塩まき」が、通常は、あり得ないこと、そして被告人のいう「場所を清める」だけの目的であれば、前記証人志津京子の供述にあらわれているように、本件当時のように大騒ぎして塩壺を持ち出してまで、古川聆子の後を追いかけていく必要はなかつたものと思われ、さらに、被告人は指三本で塩をつまんでまいた、と供述しているが、当審証人梅野敬一郎は、被告人は手掌で握つてまいた(その一回量はにぎりずし大の量になる)、旨供述しているところ、前記本件の経緯に徴し、加えて、本件時に古川に対し立腹し、大騒ぎして塩壺を持つて古川のあとを追つてきた被告人が、大きな塩壺に手を突込んで、おだやかに指三本で塩をつまんでまいた、とは到底思われないところであつて、この点に関する被告人の供述も容易に信用することができないこと、
(3) 古川聆子は本件被害にあうや、直ぐ翌日自己の所属する組合のビラにこの件を掲載し、その後間もなく告訴しており、同女は証人として、本件争点について、再三尋問を受けた結果も一貫して被害状況を具体的詳細に、前後矛盾なく供述していて、その供述内容は本件に至る経緯および本件直前の被告人のとつた同女に対する態度等に照らしても不自然さが感じられず、納得できるものがあること。
などの諸点を総合して考察すれば、明らかに被害者古川聆子の供述が被告人の弁解に比して信用性があるものと認められる。
そして、右古川聆子の供述を基本として、その他の原判決挙示の各証拠を総合すれば、原審証人古川聆子および同井田正義の各供述に、右古川に塩がふりかかつていた量等につき、所論のように、多少誇張して供述している点があるかも知れないことを考慮に容れても、原判決認定の事実と大体同じように、「被告人は、……(前略)……古川聆子が、もはやいたたまれずして、やむなく退去しようとするや、同女に対し、立腹し、嫌悪の情を抱いていた被告人は、同社々員食堂から塩壺を持ち出し、これを携えて同女を追いかけ、同社従業員通用口付近において、皮肉の意味で、同女に対して「お疲れさん。」と声をかけて塩をまき始め、自分が呼ばれたものと思い、後ろを振り返りながら、一、二歩引き返した同女に対し、腹立ちまぎれに、かまわず、故意に、右塩壺内の食塩を右手につかんで数回ふりかけた(原判決は「投げつけ」と認定しているが、この点については確証がないので右のとおり「ふりかけ」と認定するのが相当である)。そして、これが、同女の頭、顔、胸、腕および大腿部にふりかかつた」ことが認められるのである。
しかして、原審証人梅野敏一郎、同志津京子の各供述、ならびに被告人の検察官に対する供述調書二通および原審公判廷における供述中、右認定に反する部分は措信できないし、当審における事実取調べの結果を参酌しても、右認定を左右することはできず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
なお、原判決が証拠の標目中に、右措信しない部分を含んでいる各証拠を掲記していることは所論のとおりであるが、これも、原判示事実と各証拠の内容を対比検討すれば、右措信できない部分を除いて採用した趣旨と解せられるのであり、そして刑事訴訟法第三三五条第一項によれば、有罪判決の言渡には証拠の標目を示せば足り、証拠説明をすることは要求されていないところであるので、これをしないからといつて、直ちに審理不尽および理由不備のかしがあるものとなるとは解することはできない。
かくして、原判決には、所論のような、証拠の取捨選択とその価値判断を誤つた結果、事実を誤認し、かつ審理不尽および理由不備の違法はないことに帰するので、この論旨は理由がない。
なお弁護人三原道也は、原判決がその理由中の「本件発生に至るまでの経緯等」のうちで、(1)、株式会社ハトヤが、古川聆子らが福岡商業一般労働組合に加入していることを知つたのは、昭和四一年五月頃であると認定していること、および、(2)、同年六月一八日、同組合が、会社側に対し、団体交渉の申入れをなした、旨認定していることは、いずれも事実を誤認したものである旨主張するので、念のためこれを検討することとする。
原審証人古川聆子および福岡清子の各供述によれば、古川聆子は、当時ハトヤの従業員であつた福岡清子および久保照代の二名とともに、昭和四〇年一一月に福岡商業一般労働組合に加入して同組合ハトヤ分会を組織したこと、その後、同分会にハトヤ従業員一〇名位が加入するに至つていたこと、昭和四一年五月一六日、右ハトヤ分会が中心になり、福岡市油山に、ハトヤ従業員のハイキングをするように計画し、これを実行したことがきつかけになつて、同女らが右労働組合に加入していることが会社側に発覚し、それ以後会社側の同女らに対する態度が変つてきたこと、同月二二日午後六時すぎに、古川聆子は、ハトヤ社長正田幸昌から応接室に呼び出され、同所および続いて連れて行かれた福岡市西中洲所在の料理屋「藤よし」において、約六時間にわたつて、同社長から、「あんたのやつていることは何でもわかつている。」、「だれだれが入つているか。」「自分が非常に苦労してハトヤをここまで大きくしたのに、あんたは台なしにする。」「ハトヤをぶつつぶすつもりね。」などと詰問されたこと、その翌日も、応接室で、右社長から前日と同じようなことを言われ、それ以後も、光山千年専務取締役、古賀人事課長、大場経理課長などの同会社幹部から、組合脱退の説得を受け続けたことが認められる。これらの事実によると、会社側は同年五月二二日頃にはすでに古川聆子らが前記組合に加入していることを知つていたものと認めるのを相当とする。右認定に反する原審光山千年の供述は措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。よつて、この点に関する原判決の認定には所論のような事実の誤認はない。
次に、原審証人古川聆子、同福岡清子の各供述によると、昭和四一年六月一八日に、福岡商業一般労働組合が、株式会社ハトヤに対して、正式に団体交渉の申入れをした、旨供述していることが認められる。けれども、さらに、その申入れたという行為の具的体的内容について検討すると、同日、右組合書記長井田正義をはじめその支援団体役員等一〇名以上が、株式会社ハトヤに対し団体交渉を求める、ということで、「組合運動を認めること、年休を自由にとらせること、」等七項目の要求事項等を記載した、「ハトヤの職場の状態についてみなさんに訴えます。」と、題するビラを持参して、突然、ハトヤに押しかけ、店舗内にも入つて、通行人や顧客に右ビラをまいたことがあることが認められるが、その際、会社社長等経営責任者に対して平和裡に、面会を求めて、団体交渉の申入れをしたのに、これを断わられたのでやむを得ず右行動に出でた、というような事情も認められないのである。いうまでもなく、団体交渉とは、労使間に存在する労働条件に関する問題等について、労働者の団体がその団体の団結の威力を背景として、相手方たる使用者と行なう、平和的手段による交渉であるから、その申入れの手段方法についても、所論主張のように、自ら通常の慣習に従うなど、社会的に相当と認められる程度に、平和的な手段、方法をもつてなされなければならないものと解するのを相当とする。かような見地からこれをみると、右井田らの行動は未だ団体交渉の申入れをなしたものとはいえず、右組合の要求事項をかかげて、団体交渉を要求して、示威運動をなしたものにすぎないもの、と認めるのが相当である。しかしながら、原判決には、この点につき、右のように事実の誤認があるけれども、原判決は、被告人らハトヤ一般従業員と古川らとの対立が日毎に激しくなつた原因の一つとして右事実を判示しているにすぎないから、これが判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認である、とは認めることができないのである。
従つて、結局、右各論旨はいずれも理由がないことに帰する。
第二、弁護人らの控訴趣意のうち、法律の解釈および適用の誤りの論旨について。
所論は、要するに、被告人の本件行為は、(1)刑法第二〇八条の「暴行」に該当しない、(2)零細な行為で違法性が軽微であるので可罰的違法性がなく、同条の構成要件に該当しない、(3)被告人は本件行為をいわゆる「お清め」の社会的慣行に従つて行なうという認識をもつて行つたもので違法性がなく、ひいて暴行の故意がないことになるから犯罪は成立しない、のに被告人の本件行為が暴行罪に該当するとして、刑法第二〇八条を適用した原判決には法令の解釈および適用を誤つた違法がある、というのである。
よつて検討するに、
(1) 刑法第二〇八条の暴行は、人の身体に対する不法な有形力の行使をいうものであるが、右の有形力の行使は、所論のように、必ずしもその性質上傷害の結果発生に至ることを要するものではなく、相手方において受忍すべきいわれのない、単に不快嫌悪の情を催させる行為といえどもこれに該当するものと解すべきである。そこで、これを本件についてみるに、被告人の前記所為がその性質上古川聆子の身体を傷害するに至ることができるものか否かの判断はしばらく措き、通常このような所為がその相手方をして不快嫌悪の情を催させるに足りるものであることは社会通念上疑問の余地がないものと認められ、かつ同女において、これを受忍すべきいわれのないことは、原判示全事実および前段認定の事実に徴して明らかである。してみれば、被告人の本件所為が右の不法な有形力の行使に該当することはいうまでもない。
(2) 原審証人古川聆子および井田正義の各供述によれば、右古川は前示のように、被告人からふりかけられた食塩のうち大部分のものはその場等で払い落すなどしたものの、なお、一部は頭髪内や着衣の内側等に残留し、そのため多少の肉体的生理的苦痛、ならびに少なからぬ不快嫌悪等の心理的苦痛を受けたことが認められ、同女の受けたこれらの被害は、これを一連の本件経緯に徴すれば、必ずしも軽微とは評価し難いものがあり、他面、被告人は、当初は「お清め」のつもりであつたかも知れないが、古川が振りかえつた後は、腹立ちまぎれに、故意に、塩をふりかけたもので、「お清め」の塩がたまたま同女にふりかかつた場合と異なり、所論のように、とるに足らないほど零細な行為で、いわゆる可罰的違法性がなくかつ構成要件に該当しないものとは到底考えることはできないのである。
(3) 古来、わが国において、所論のような、「お清め」の慣習があることは公知の事実であろうが、仮りに被告人の意図が「お清め」のつもりであつたとしても、原判示の経緯等から古川聆子において、社会通念上何等これを受忍すべき理由のないことが明らかであるうえ、被告人は、古川に対し、腹立ちまぎれに塩をふりかけたものである以上、もはや慣習に従つたものとも、あるいは暴行の犯意がなかつたものともいうことができない。
以上により、被告人の本件行為が、刑法第二〇八条の暴行罪に該当することが明らかであるから、これと同趣旨に出て、被告人の本件所為について、同法第二〇八条を、適用処断した原判決は相当であり、所論のような法令の解釈および適用を誤つた違法はない。この論旨も理由がない。
第三、弁護人三原道也の控訴趣意中量刑不当の論旨について。
しかし、本件記録および原裁判所において取調べた証拠にあらわれている被告人の年齢、境遇、素行、前歴、犯罪の情状および犯罪後の情況等とくに本件犯行は被告人が会社側の立場に立つて、これと対立する労働組合員である女性の被害者を嫌悪して、偏狭にもこれに圧迫を加えた事案であることや、経理課室での怒号などによる追出し行為だけでは飽き足らず、通用口まで追いかけて本件犯行に及んでいるもので、その態様が執拗であること、および本件全経緯を通じて見るとき、本件犯行がそれほど軽微な事案であるとは考えられないことに鑑みるときは、なお所論の被告人にはこれまで何等の前科がなく、しかも真面目に働いてきたものであることなど、被告人に利益な事情を十分に参酌しても、被告人に対しては原判決程度の科刑はやむを得ないところのものであつて、これを不当として破棄したうえ執行猶予の言渡をすべきものとは認めることはできない。この論旨も理由がない。
そこで、刑事訴訟法第三九六条に則り本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は同法第一八一条第一項本文に従い被告人に負担させることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(木下春雄 緒方誠哉 池田久次)